2018年2月4日(日)24日目

夢を見たが、わすれてしまった。刑務所にまつわる夢だった気がする。だんだん体がここに適用してきている気がする。私は朝の点検の際は、布団を簡単に畳んで、すぐに広げられるようにしていたのだが、きちんと畳まないとダメだと怒られてしまった。夕の点検も同じであろうから、以後気をつけるようにしよう。

読書、アリストテレスの「形而上学(上下)」を読んでるが、これもなかなか難解だ。わかる人にはわかるのだろうが、私には苦労して読んでいる感じが拭えない。アリストテレスは、物事にはエイドス(相形)が内在しているとして、観念(イデア)を否定しているのだろうか。また、最高学は神学としている。ここの神学とはキリスト教だろうか?確か紀元前なので、新約聖書もイスラム教も存在していない時代だと思われる。

「死の家の記録」抜き出し(主人公)アレクサンドル・ペトローヴィチ・ゴリャンチコフ
p16「監獄には忍耐をというものを学び取る時間があった。」
p17「人間はどんなことにでもなれられる存在だ。」
p18「監獄や強制労働の制度が犯罪者を嬌正するものでない事は、言うまでもない。それらの制度は、(…)社会を保護するだけである。監獄ともっとも重い労役が、犯罪者の内部に育てるものは、増悪と、禁じられた快楽に対する激しい渇望と、恐ろしい無思慮だけである。」
p42「その後私は、自由の剥奪と強制労働の他に、監獄の生活にはもう1つの苦しみがあることを知った。その苦しみは、他のあらゆる苦しみに比べて、一番強烈かもしれない。それは、強制された共同生活である。」「酒やタバコなどが手に入るが、唯一の本は聖書のみ」
p94「同種の犯罪に対する刑罰の不平等という問題である。(…)監獄の中で弱り果て、蝋燭のように溶けていく者もあれば、監獄に来るまでは、この世にこんな楽しい生活や、勇み肌の仲間達のこんな愉快な集まりがあることを、知らなかったという者もいるのだ、」
p106「ところが、虚栄と傲慢は例外なくほとんど全ての囚人の特性なのである。
※ユダヤ人、イサイ・フォミーチ(50格好、宝石工、金貸し) アキム・アキームチ・貴族出身

家族に手紙、先日の差し入れのお礼とTさんの報告、差し入れのお願い。今日は、「そうだったのか現代思想、ニーチェからフーコーまで」「漫画でわかる ニーチェ」を頼んだ。ここも、大分京都哲学研究センターになってきた。

「死の家の記録」
p148「金というものは、もう前にも言ったように、監獄では非常に大きな意味と力を持っていた。絶対的に断言できるが、獄内で少しでも金を持っている囚人は、全然持ってない囚人の10分の1も苦しまずに済んだ。」

死の家の記録は、死刑判決を受けたドストエフスキーの獄内体験を綴ったものであるが、驚くほどに共通点が多い。いつの時代も、どこでも共通する獄内観念というものが存在していることを、獄内で身をもって体験することなど、滅多にできない経験であろう。ところで、昨日の孤独症の発作は、今日は全く現れなかった。あのどうしようものない感覚はなんなのだろうか…昨日の日記を見ても、もうわからなくなっている。自分の中にこの環境を苦痛に思う別の人格が存在しているのだろうか。さて、明日は運動があるのか、あったとしても、他の囚人とコミュニケーションが取れるか、ホリエモンも言っていたが、他の囚人と話してストレスを発散できないのは精神的にきついのだろう。どんなにくだらない話でも、ストレス発散という目的を持っていると考えると、重要だ。