2018年2月10日(土)30日目

監獄の夢を見た気がする。天気は曇りで今日は雨が降るらしい。平日でなくてよかった。なぜなら、運動がなくなってしまうから。

隣の36室は、、今日から懲罰のようだ。土日でも関係なしで実施されるのだな。夕方の点検まで座って何もできないのは過酷すぎる。職員の担当は思ったより優しく接していたのが印象的だった。しかしそれ以上に私は、隣に私以上に過酷な待遇を受けている他者の存在を意識した途端に、気持ちが軽くなったのだ。人間の本質は悪なのか、私の本質が悪なのか、はたして。

昼、ぜんざいである。

英語、LF12,22,23,24,25,26 BG 1〜9 、写経のように、重ねて書いていくこととする。明日はLFに入る。

「死の家の記録」
p414「訪れる華やかな日々は、つながれた人々の胸をも波立て、希望や、憧れや、憂愁のようなものを呼び覚ます。明るい陽光の元では、ジメジメした冬や秋の日よりも、自由のない悲しさを一層強く感じさせるのだろう。」
p415「『流刑人は子供と同じ、見るもの聞くもの、みな欲しい』シベリアでは、流刑人のことがこんなふうに言われている。」
p425「監獄では、この呪わしい生活のあらゆる物質的不便に耐えるために、体力が精神力に劣らず必要なのである。」
p426「私はクタクタに疲れ果てて、獄舎に戻ることができれば、こんな嬉しいことはなかった。これで眠れそうだ!なぜなら、夏の眠らねぬ夜の苦しさは、冬のそれにも劣らぬほどだったからだ。」
p430「将軍とか、押し並べて上流階級というものを詳しく知っていることによって、その男の知識や、物分かりのよさ、さらに監獄に来る前に社会で占めていた地位が、図られるのある。」
p444「彼らは子供みたいにはしゃいでいた。何より彼らを嬉しがらせたのは、今の彼らは、自由な世間の人たちとちっとも変わらず、実際に自分の懐の金で自分の馬を買うのと同じことで、しかも買う完全な権利を持っている、ということであった。」
p452「大体、囚人たちは動物を愛する気持ちはあったらしい、だからもしそれが許されたら、喜んでたくさんの家畜や小鳥を監獄内に飼ったに違いない。」
p466「決まってるじゃねぇか、自由だよ。自由の匂いを嗅いだのよ。」「枷のねぇ、か」「おや、もう見えねぇぜ。。。」「何を突っ立てるんだ、歩け!」と警護兵達が怒鳴った。一同は黙々と作業場へ歩き出した。
p469「どの囚人も必ずと言っていいほど、何かしらほとんど不可能なことを密かに憧れていた。(…)ここにいるのはみんな空想家だった。それが嫌でも目に映った。(…)だが、私には、監獄にはさらにもう一つのタイプ、完全に絶望しきった連中というのがいたように思われる。(…)何かしらの目的がなく、そしてその目的を目指す意欲がなくては、人間は生きていられるものではない。目的と希望を失えば、人間は寂しさのあまりケダモノと化してしまうことが珍しくない…私たち囚人全体の目的は自由であった。監獄から解放されることであった。」
p496「抗議というものはいつの場合でも微妙なものである。(…)しかもほとんど全員が立ち上がったということが、特に彼を慌てさせた。なんとしても揉み消してしまう必要があった。」
p501「彼一人だけが独自のタイプをなしていた。それは全く無関心な囚人のタイプである。」
p506「監獄では、一般に人々が自由意志でなく、強制されてごちゃごちゃと集まっているようなところでは、どこでもそうだが、自由社会よりも喧嘩が早く、互いに憎み合うことが多い。多くの事情がそれを促進するのである。」
p520「さて、Mは年と共にますますふさぎ込み、陰気になって行った。ふさぎの虫に負けたのだった。」
p525「軍服を脱いだ途端に、彼の威厳はすっかり消えてしまった。軍服を着てこそ彼は雷であり、神であった。(…)こうした人々にあっては軍服がいかに多くの意味を持つか、驚くべきことである。」
p530「これらのダラダラと長い、やすれない日々が、まるで雨の後屋根からポトリポトリと雨垂れが垂れ落ちるように、イライラするほど単調だったような気がする。忘れもしないが、ただ一つ、復活、更生、新生活に対する激しい渇望だけが、私を励まして、待ち、そして望む力を与えてくれたのであった。(…)私はずっと恐ろしい孤独の中に置かれていた、そして姉妹には、この孤独を愛するようになったのである。」
p531「囚人は監獄に2〜3年いると、この年月を貴重なものに思うようになって、残った刑期を面倒や危険なくなんとか無事に務め上げ、法に従って移住地に出ていく方がとくだとひとりでにそろばんを弾くようになる。」
p551「一口に言えば、この逃亡事件以来ワリコフの名声は著しく薄れたのだった。成功というものは人々の間でそれほど大きな意義を持つものである。。」
p555「ここでちょっと断っておくが、空想に耽りがちだったことと、長い間隔離されていたことが災いして、自由というものが監獄では本当の自由よりも、つまり実際にある現実の自由よりも、なんかもっともっと自由なもののように思われていた。」
p559「じゃ、さようなら!さようなら!」と囚人達は途切れ途切れに、荒っぽいが、何か満足そうな声声で言った。そうだ、さようなら!自由、新しい生活、死よりの復活…なんという素晴らしい瞬間であろう!」(読了)

週刊文春 2/15 「それでも社長になりたいあなたへ」 東文州 
「日本社会は嘘や詐欺に厳しいのに、なぜか新興ベンチャー経営者だけは許される。投資家やマスコミの中尉を引くために大きなハッタリをいうのが当たり前になっているのです。(…)経営者が大きな野心を持つのはいいことだし、野心を隠さないのも悪いことではない。しかし、ハッタリを使って投資家やマスコミからの知名度を高め、個人資産を積み上げるだけでは経営者として伸びないのは当たり前。(…)スパコンの助成金詐欺事件が示すように、ハッタリを使うハイテク企業は投資家やマスコミを騙した後、最後は税金を狙います。(…)詐欺に遭う金持ちは少なく、金銭的に余裕のない人が被害に遭いやすい。これは世界共通の現象です。「貧すれば鈍する」という言葉が示すように、余裕がなくなると現実離れした期待を持ちやすい。詐欺師はその心理を巧みに感じ取り、信じたいことをタイミングよくいうのです。」