2018年3月12日(月)60日目

晴れ。中庭の桜が少し色づいてきた気がする。つぼみか、どうせなら開花するまではここにいて、見届けてから移動した。情がうつってきたのかもしれない。今日も声はかからなかったので、本とタイムの行方だけが関心ごとである。人生は悟には短すぎるが、だらだら生きるには長すぎる。

作業開始、時に何もなく昼になる。午後に新たな作業で、PONYの小さい洗濯バサミのピンつけ。これはスイスイできそうだ。その後運動、メンバーは32、30との3人。30は先週の金曜日に来たばかり。奈良少年刑務所、大阪刑務所2回の今回4回目のリピーターで、刑期は1年半の50前後の男だった。満期上等、懲罰上等で務めるつもりらしい。う〜む、どうしてもその心境は理解できない。また今は年度末で分類のスケジュールがどうなるかわからないらしい。30からの又聞きだが、人によっては2〜3か月いることもあるという。だいたい予想通りだな。

その後、作業終了と同時に、家族からの手紙を受け取る。やはり本はすぐに送ってくれていたようだが、合わせて同日着が8冊になってしまったのでこち初回会計課より通知を受け取ったらしい。しっかりと処理はされているようで安心した。タイムは今週は休みで、来週から処理するくらいで考えても良いであろう。その代わりに文法と単語力の強化にあてても良い。近い将来にタイムが入ってくる保証があれば、全く不安はない。サポートしてくれる家族にも感謝しなければならない。

夜、小説(哲学書)が5冊明日入ることがわかった。この本だけでも読むのにかなり時間がかかりそう、楽しみだ。雑誌に関しては、(「TIME」「ソフトウェアデザイン」「WEB + DB PLUS」)が合わせて5冊溜まったら送る。というルールで送ってもらうようにお願いしよう。永山則夫の本は本当に面白い。彼も高等遊民のように行きたかったのだろうか。思索の流れが私に似ている気がする。私はあと2〜3年で社会に戻る身分だ。社会に戻ったら、何を残すことができるであろうか。少なくとも精神的豊かさを大事にしたいと思う。お金も必要だが、お金のSLAVEとなってはならない。この矛盾に対しての答えを止揚して私なりの結論を出してみようと思う。それが私の哲学なのだ。いくら億の金を簡単に動かせても、周囲のルサンチマン、そして上には上がいるのだ…